テクニカルノート

低周波ラマン分光学

2020年 11月20日

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狭線幅ダイオードレーザー向けの新技術が製薬検査を容易にします。

Peter Jänes と Håkan Karlsson

分析手段としてのラマン分光学の重要性は、さまざまな物質の分子が持つ独自の振動および回転モードを探る能力に基づいています。これらのフォノン相互作用は、照明レーザーからの散乱光により物質毎に特有の周波数 – 遷移(ストークス遷移)を誘発します。この指紋領域はほとんどの商用のラマン分光装置でアクセス可能であり、500~1500 cm-1範囲 の芳香物、炭酸塩、硫酸塩、ケイ酸塩、酸化物および水酸化物や、3000 cm-1辺りでの炭素、窒素および酸素との水素相互作用といった分子に関する貴重な情報を提供します。

水とオイルからなる製薬用乳濁液内のシステイン(アミノ酸の一種)分布の低周波ラマン分光画像。
赤:システイン、青:水、黄:オイル状態、緑:賦形剤(製薬用添加剤)。
システインは食品、製薬およびパーソナルケア産業における前駆物質であり、その多形性がラマン分光学で容易に特長づけられます。

さらに最近では、低周波ラマン分光領域(< 10 cm-1 ~200 cm-1)にアクセスすることへの関心が高まっております。この周波数範囲でのラマンシフトは、分子結晶の格子振動へのアクセスを可能とし、固体物質では分子間の相互作用をより直接的に探る可能性を持っています。低周波ラマン領域は、テラヘルツ分光学(300 GHz ~6 THz)での分子構造の低エネルギー振動および回転モードと同じものを探ります。ラマンスペクトルでのこの THz領域には、調査中の分子あるいは結晶格子に関する重要な構造情報(図1)が含まれます。

図 1 低周波ラマン分光学は、グリセオフルビン(抗真菌薬の一種)1の晶質状態と非晶質状態を区別できます。

例えば、有効成分(API)の構造的フォームを決定可能とすることは、製薬業界における薬品開発、製造および品質管理上の主要目的です。API (有効成分)が多形を示し、同一の化学組成を持っているものの、生物学的利用能および治療の指標に影響するかもしれない異なる固体構造を持つことが分かると、あらゆる最終薬品の製造効率の低下に繋がりかねません。23特に、低周波ラマン分光学が、錠剤化の前と後での製薬システムの多形構造を探るための道を提供します。低周波ラマン領域を探ることには既存の技術を超えるいくつかの利点があり、(X線粉末回折や示差走査熱量測定のような従来の手法と比較して)データを収集しやすく、多くの構造情報を含むスペクトルを収集でき、もちろん結晶形態を区別することも可能です。製薬メーカーでの格子フォノン計測用の低周波ラマン領域には、高精度光フィルターと必要な周波数安定性を持つ狭線幅レーザーという進歩を得て、ここ数年アクセスしやすくなっています。そのため、薬品における低周波領域研究は、カスタマイズされた研究所用装置を持つ学術研究所から、製薬メーカー研究室と製造ラインに移行しています。
ラマン分光顕微鏡に低周波ラマン分光能力を装備し、多変量解析を行なうことにより、処方せんがいらない(OTC)製薬メーカー製錠剤のAPI分布と結晶サイズをマップする方法を実演で示すことが可能となっています。4低周波ラマン分光による低エネルギー振動/回転モードの研究を利用する分析的アプリケーションのさらなる例には、重合体分析5、半導体分析6およびタンパク質特性評価が含まれます。

レーザー要件

低周波ラマン分光のスペクトル範囲にアクセスするためには、ラマン信号とレイリー散乱光を照射波長から分離するためのノッチフィルターは高レベル抑制可能で非常に狭線幅である必要があります。ラマン信号、つまりフォトン – フォノン相互作用は本質的に非常に弱いため、一般に60 dB超のレイリー散乱光抑制を使用して有用なラマン分光情報を記録します。これらの必要条件を満すフィルターは、UVレーザーによる干渉パターンの露出を経た光熱屈折(PTR)ガラスにホログラムを記録することで製造できます。こうした体積ブラッグ回折格子(VBG) 素子がもたらすのは、< 1 cm-1の FWHM (半値幅)と、最大限から5 cm-1未満で60 dB超のカットオフを持つノッチフィルターです。7(図2)

図 2 VBG(体積ブラッグ回折格子)フィルターを低周波ラマンで用いるのは、低周波領域にアクセスするために必要な鋭いカットオフを得るためです。

低周波ラマン分光用のレーザー光源のスペクトル純度要件は、ノッチフィルター特性と同様です。レーザー発振線は狭く、かつメインピークから5 cm-1未満で少なくとも60 dBのサイドモード抑圧比(SMSR)を備えなければなりません。レーザーのスペクトルの線幅は、記録されたラマン信号のスペクトル分解能すなわち、ストークスシフトでどこまで小さな差異を検出できるかを制限します。ただし、ラマン分光装置のスペクトル分解能はレーザー光源のみに依存するわけではありません。さらに、回折グレーティングの溝密度、分光装置の焦点距離、場合によっては検出器のピクセルサイズも重要です。線幅のパラメータに関係するのは、レーザーの周波数安定性やスペクトル安定性です。レーザー発振線を波長で固定しつつスペクトログラムを記録する目的は、スペクトル分解能を維持するためであったりノッチフィルターのスペクトル範囲に留まるためです。一般に、レーザーは長時間や数度の温度範囲に亘って数pmを越える波長変動を起こしてはなりません。さらに、レーザー発振線は調査対象である特定の試料に適当な波長を十分な出力で提供する必要があります。

狭線幅半導体レーザー

(41) 多くのラマン分光アプリケーションに最も理想的な照射波長である785 nmでのラマン分光学に適したレーザー光源は、AlGaAs ベースの半導体素子で出力できます。エミッターの大きさと配置によって、単一横モードビーム(低出力)かマルチ横モードビーム(高出力)を出射するように設計できます。半導体レーザーは広いゲインスペクトルをもつため、一般に> 1 nmの発振バンド幅を示します。それらの長いスペクトルの末端はメインのピークから何十nm にも広がっています。それらは、チップ構造内に分散波長選択グレーティング(DBR / DFB)を導入することにより、スペクトル的に単一(縦)モード放射で発振をさせることができます。780 nm前後のDBR / DFBレーザーでは、20-30 mW 出力までを利用できます。高出力レベルへの選択肢として、個別の波長選択キャビティ要素で外部キャビティを構成することにより、半導体レーザーからの広帯域発振を狭帯域に変えることができます。このようにして、レーザーからの誘導発振は波長選択エレメントからフィードバックのスペクトル分布まで周波数ロックが掛けられます。このような周波数固定半導体レーザーの構造を得るための従来の方法は、ボリュームブラッググレーティング(VBG)エレメント(図3)を使って外部キャビティを構成することです。

図3 部分透過型VBG付きの従来型波長固定半導体レーザーの典型的なレーザー設計。低周波ラマン分光用のスペクトル純度への要件を満たすため、ASE(自然放射増幅光)(図 4a)を抑制する追加のクリーンアップフィルターが必要となります。

785 nmの半導体エミッターからの出射ビームをVBG エレメントに達する前にコリメート(平行光化)化し、狭スペクトル分布を伴う光のごく一部を反映させて半導体に戻ります。DFB / DBR と従来の VBG周波数固定レーザー装置両方にとっての障害とは、半導体からのかなりの量のブロードバンドの自然放射増幅光(ASE)がレーザー装置からまだ放出されるということです。これはメインピークから数ナノメートル離れたところまで40~50 dB前後にSMSR(サイドモード抑圧比)を抑制します。Cobolt社製08-NLDM ESP 785 nm は、外部フィルタリング無しで< 0.3 nm (または< 5 cm-1)にて > 60 dBの SMSRを達成します。これらのレーザーをラマン分光学で役に立つようにするためには、外部クリーンアップフィルターでスペクトル的にフィルター処理を施す必要があります。低周波ラマン分光学では、1~2nmの典型的な伝送帯域幅の標準的ダイクロイックフィルターでは十分ではありません。代わりにより狭いスペクトルフィルタリングが必要となり、2つ目のフィルターとして外部VBGエレメントを加えます。この追加の VBG フィルターはシステムをより高価にし、レーザーの特定の出力波長にスペクトルを合致させるという挑戦を行わせることを意味します。この欠点を克服するため、代替策であり特許申請中の周波数固定半導体レーザーの設計をCobolt社は紹介致します。部分透過型VBG を使う代わりに、高反射率VBGエレメントを外部キャビティで波長選択コンポーネントとして使用します。キャビティ内偏光素子と偏光ビームスプリッターが、VBG からエミッターまでのフィードバックのレベルと、キャビティからの出力カプリングを制御します。このようにして、誘導発光のみがキャビティから連結され、ブロードバンド非誘導発光は VBG素子から漏出します。結果として生じるスペクトル純度は外部の VBG クリーンアップフィルターで達成されることと同様ですが、ただ1つの VBG素子(図4)のみで達成されます。

図4  Cobolt社製08-NLDM ESP 785nmレーザーの優れたスペクトル純度を確認するには、外部ダイクロイックフィルター付き(オレンジ)の標準的な周波数固定半導体レーザーでのスペクトルのピーク(赤色)と、外部のフィルター無し(青色)の標準的な周波数固定半導体レーザーを比較することで可能となります。

このようなレーザーの性能を保証するため、特に波長および周波数の固定安定性を保証するため、すべての光学部品は Cobolt 社特許取得済の HTCureTM技術により高温硬化接着剤を使用して単一温度調整されたプラットホーム上で組み立てられ、キャビティコンポーネントの堅牢で正確なアラインメントや高レベルの熱-機械安定性および環境条件に対する不感性を保証します。このようにして、レーザーの寿命全体に亘ってさまざまな周囲温度状態でも波長安定性と SMSR(サイドモード抑圧比)を維持することができます。

展望

ラマン分光学で低周波領域にアクセスすることが可能であることは、薬剤の詳細な成分と、さらに強いラマン分光シグナルレベルへのより深い洞察を約束します。顕微鏡技術を伴う低周波ラマン分光学と多変量解析を組み合わせることにより、薬剤の結晶化度レベルと多形性の有効成分の分配(API)を決定することが可能となります。この情報は、最終生産物の治療度合を保証するために製薬において非常に重要です。精細な狭帯域フィルターと、卓越したスペクトル純度を持つ安定した狭線幅レーザー光源(たとえばここでご紹介した785nmのレーザー光源)を利用しやすくなり、薬品の調査のための低周波ラマン分光学の採用が、製薬業界において研究ラボ用設定から製造ラインへの移行を開始しつつあります。

<参考文献>

[1] G. P. S. Smith, G. S. Huff and K. C. Gordon, Spectroscopy 31, 2 (2016)

[2] P. J. Larkin et al., Appl. Spectros. 68, 758 (2014)

[3] O. T. Tanabe et al., Int. J. Pharm. 542, 56 (2018); N. Kim, Y. L. Piao, and H. Y. Wu, Holographic Optical Elements and Applications, Holographic materials and Optical Systems, Intech Open (2017)

[4] D. R. Willett et al., Am. Pharm. Rev. 22, 48 (2019)

[5] L. Bokobza, Polymers 11, 1159 (2019)

[6] T. P. H Han et al., arXiv:1106.1146v1 [cond-mat. mes-hall] (2011)

[7] A. Glebov et al., Proc. of SPIE 8428, 84280C-1
Authors Peter Jänes, PhD, is Product Manager at Cobolt AB and Håkan Karlsson, PhD, is CEO. Cobolt AB, a part of HÜBNER Photonics, Vretenvägen 13, Solna 171 54, Sweden.

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